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自然に学べ

日本を超え世界からも注目を集める氷温技術の創始者、山根昭美。

常識を疑い、自然に学べと一生涯言い続けた反骨の研究者であった。

山根昭美(やまねあきよし)
1928年~1998年(昭和3年~平成10年)

失敗から生まれた氷温技術


食品加工研究所での梨の貯蔵試験
(昭和45年頃)

 1970年(昭和45年)。境港市にある鳥取県食品加工研究所長であった山根は、県の特産品である二十世紀梨の長期貯蔵法に取り組んでいた。二酸化炭素の濃度を上げて梨の呼吸を抑えるという当時流行のCA貯蔵法で貯蔵していたのだが、機械の故障で貯蔵庫の中が零下4℃にまで下がってしまい、4トンほどの梨をことごとく凍らせてしまった。がっくりした山根は貯蔵庫の運転を止めた。
 ところが四日後、梨を片手に研究員が部屋に飛び込み「不思議です。梨が元の状態に戻っています」と言う。見ると、凍結で黒ずんでいるとばかり思っていた梨がみずみずしいままで、しかも、食べると甘味も増している。
 「既成常識は研究の最大の敵だ」と日ごろから口にしていた山根は、瞬間、「何かある」と感じた。ナゾの解明はすぐに始められた。所長の実務をこなしながら実験を繰り返し、家に帰っても論文の執筆に取り組んだ。寝食を忘れて没頭した山根は、ついに梨だけではなく、どの食品にも0℃以下でありながら凍結せずにいる温度域があることをつきとめた。山根はこの独特の温度域を「氷温」と名づけた。
 この温度域では生き物は代謝は下がるが生きたままでおり、しかも、低温を一種のストレスとして感じて生体防御反応を示し、体液中に糖やアミノ酸を増やして凍ることに抵抗するのだ。低温だから雑菌の繁殖も少ない。長期間鮮度を保ちながら、なおかつ旨みまで増す。「食品の加工や保存、流通に革命を起こすだろう」と山根は訴えた。


研究所、協会の設立

 山根の研究成果に全国が反応した。大手食品メーカー、商社、農協などから商業化への大きな期待が寄せられた。その声に押され、1985年(昭和60年)株式会社氷温研究所と氷温食品協会を米子市に設立した。
 一筋縄ではいかないのがここからだった。産業応用のための研究は試行錯誤の連続であったし、使える段階になっても実用化に二の足を踏む企業が多かった。さらに山根を苦しめたのは腎臓病であった。幼少期に患ったものが悪化しこの頃は人工透析治療が必要となっていた。医者からは、週3回の透析治療を勧められた。しかし、それでは全国に普及行脚の旅に出ることができない。一つでも多くの地で一人でも多くの人に直接語りかけたいという山根の強い意志に、医者は何も言えず、週2回の透析治療となったという。
 当時の山根を支えた言葉が新約聖書にある。ローマ人への手紙第5章第3節「艱難は忍耐を生み 忍耐は練達を生み 練達は希望を生みだす」である。山根は敬虔なクリスチャンでもあった。


発展の基礎づくり

発展の基礎作り

 文字通り命を縮めながら、山根は八面六臂の研究活動と普及活動を続ける。
 平成5年に社団法人氷温協会を設立、平成8年に著書「氷温貯蔵の科学」を発刊、同年NHKの「クローズアップ現代」で特集。平成9年氷温学会を設立した。平成10年秋には植樹祭で来県された皇太子夫妻に氷温技術を説明する機会が訪れた。脳梗塞も患い半身が麻痺していたが、車椅子で大役を務めたその1ヶ月後に没。69歳。
 「楽をしようとか、自分のためとか、そんな人生を送ったらもったいない。みんなのために働くところに喜びがあるんですから」。山根の生き方を表す言葉だろう。







 
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